-【Dr.久住対談】文化人類学者・磯野真穂さん(後編)~「科学の不確かな部分」をどう扱うか-

2018.08.27

引き続き、磯野真穂さんと久住英二医師の対談、後編。科学や知性の本質と、私たちはこれからどう向き合っていくべきなのでしょうか。

(前編はこちら) photo by Maho Isono

 

 

【まとめ】

☆今までの公衆衛生の観点では、明らかにベネフィットがリスクを上回っていればゴーサインだったが、今はそれだけでは理由として弱い。

 

☆インターネットやSNSが発達し、人々が発信力を手に入れた今日では、相対的にプロの声の価値を感じにくくなっている。

 

科学や現実の持つ不確かさとどう折り合いをつけるかいざという時に、科学や知性とどれだけ真摯に向き合ってきたかが問われる。

 

 

 

前回は、子宮頸がんを予防するHPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチンの話題をきっかけに、日本人の「知性」に対する価値の低下や、「言いたいことを言わない」文化、未成熟なコミュニケーションの在り方にまで考えが深まりました。今回はさらに、インターネット社会における科学・医療と人々の関係構築へと、テーマが発展していきます。

 

 

「ベネフィットが上回る」というだけでは弱い

 

 

久住 HPVワクチンの問題は、自己の利益実現のために科学的な意見を否定する人たちが、コミュニティに対し大きな損害をもたらしている、とも言えます。反HPVワクチン運動の人たちは、善意の第三者というわけではなくて、裁判をやっているからワクチンは害であると言わなければならない人たちであって、そこにはものすごいCOI(利益相反)があるのです。裁判で勝ったら賠償金からの取り分がある人たちが、ワクチン批判をしている。

 

 

磯野 裁判を起こしている方たちの利害関係について私は具体的に知らないので何とも言えないのですが、情報が十分に届いていないという印象を持っています。情報を受け取ったうえで「打たない」という選択もありだと思うのですが、現状は「打つ・打たない」の選択以前に、「知らない」という状況が発生している気がします。

 

 

久住 その部分に対し、科学的事実に反することを触れて回る、というのは、社会として許されることなんでしょうか? 例えば「制限速度なんて関係ない。アクセルは床まで踏みなさい」と声高に唱えることと一緒です。道義的にどうなのか。

 

 

磯野 科学の不確かな部分をどう扱うか、という問題ではないでしょうか。私はワクチンに関しては専門的なところは分かりませんが、たぶん今までの公衆衛生の観点では、リスクとベネフィットで明らかにベネフィットが上回っていればゴーサインだったと思うんです。でも、今はそれでは理由付けとして弱いのかな、と感じます。

 

 

久住 合理性だけでは通らない、ということですか。

 

 

磯野 これまでは「ベネフィットが上回っているんですよ」という発言をする専門家が圧倒的な発信力を持っていました。でも今は、SNSなどで一般の人も同様に発信力を得ています。

 

 

久住 そうして、サイエンス(科学)の不確かな部分に、アート(人による創造)的な価値観が入り込んできている

 

 

磯野 ええ。それをこの国は上手く扱えなかった、ということだと思います。

 

どんな医療行為にも等しくリスクはあって、風邪薬だってものすごい少ないリスクで大変な事態が起る可能性はある。その時に、そのものすごい少ないリスクに不幸にも当たってしまった、あるいは当たってしまったと考える人たちを、社会がどう包摂するかが問われているのではないでしょうか。

 

 

SNSが低下させた「市民」の声の価値

 

 

久住 ワクチン問題は、「民衆と科学の断絶」の典型ということですね。どうしてこんなことになっているのか、腑に落ちました。

 

 

磯野 「断絶」というのは強い表現ですね。

 

 

久住 私の考えでは、「民衆vs市民」という構図にも置き換えられます。大衆は自分の楽しみのためだけに生きている人、一方、市民はコミュニティの成員でありつつコミュニティに対する義務を果たす準備がある人、という理解です。

 

 

もちろん一人で全ての事象に精通することは無理ですから、例えば医療者も医療に関しては「市民」ですが、その他の領域では「大衆」でしょう。誰しも専門外の領域への対応としては、その領域に精通した「市民」の声に耳を傾ける、というのが正しい態度だと思っています。

 

 

磯野 先にも言いましたが、昔は情報発信力が限られていて、メディアも、「市民」すなわち分野ごとのプロの声を優先的に扱っていました。ところがインターネットやSNSが発達した今日では、久住さんの言う「大衆」も発信力を手に入れています。相対的に「市民」の声の価値を感じるのは難しくなっているかもしれませんね。本当は情報過多で玉石混淆だからこそ、プロの声に価値があるはずなのですが。

 

 

久住 プロフェッショナリズムに対する理解とリスペクトが低下していますよね。結果、どうせ通じないからサボタージュしようとする。国会などでもそうです。

 

 

磯野 言っても叩かれるから黙ってしまう、というのもありますね。あと、医療や介護に関して言えば、患者側からの発信は増えているけれども、医療者や介護者側から今の医療・介護がどう見えているか、発信する人は少ないように思います。

 

客観的に見ればおかしなことであっても、渦中にいると慣れてしまったり、スケジュールをこなすのに精いっぱいで疑問を持つ余裕もなかったり、というのが本当のところのようです。

 

 

「不確かさ」を許容できない社会

 

 

久住 医療現場からの発信はないのに、不満を持った患者さんたちからの個人的な意見はインターネットで拡散する。何を信じてよいか分からなくなった結果、人は“お上”に頼ってしまう、というのが今の状況かもしれません。

 

国がワクチンを奨励すればワーッと飛びついて、国が奨励を取り下げた途端に全否定する。お上が右と言えば大挙して右へ行き、お上が左と言えばみんな左に殺到する、というのは、先に出てきた菅野氏のムラ社会の話前編参照)そのままです。

 

 

磯野 人々が「不確かさ」を許容できないんですね。だから両極端に流れてしまう。本来、どこまで行っても科学には不確かさがつきものなんですが。そこを本当は、許容できる文化が人々の間に育たないと、状況は変わらないと思います。

 

 

久住 そもそも日本人は、市民革命を経験していないですからね。自分たちで自分たちのことを決める権利を勝ち取った、という歴史がない。だから、「不確かさや曖昧さの中から自分たちで自分たちのことを決めなけなければいけない」という状況に立たされたことがないんです。

 

 

磯野 私は、日本は多様性を生じにくいような地理的・言語的条件が揃ってしまっている、という仮説を持っています。国としてそこそこ大きいけれど、米国のように広大ではなく、マスメディアの情報も皆似たり寄ったり、画一的です。

 

これが逆にシンガポールくらい小さいと、淡路島位の大きさしかないので、国内だけで経済や社会が回っていかない。たとえば国内ではテレビ番組をまかなえないために夜7時のゴールデンタイムにFOXTVをやっていたりしますし、人口減少を抑えるために移民をどんどん入れていますから、違う文化の人といやおうなしに出会います。

 

けれど、日本はそのような状態にはないので、個人レベルではコンビニで留学生の店員さんを見るといったレベルの海外交流で生きていくことが可能です。言語も特殊で、英語の情報がそのまま共有されることはほとんどありません。

 

 

久住 米国だったら、ある曲が「全米大ヒット」なんて言われている時でも、田舎に行けばカントリー音楽を普通に聞いてますからね。

 

 

磯野 日本は多様な情報を前に自分で選びとった経験がなくて、いまだに多くの点でガラパゴス状態のように見えます。

 

 

久住 言語的にもまだ鎖国状態で、それが文化的な鎖国状態も生んでいる。文化遺産の継承という点では良い方向に働いているかもしれないけれど、人々の価値判断や行動が極端から極端に流れる背景にもなっている、ということでしょうか。

 

 

エンターテイメントだけでは立ち行かない

 

 

磯野 もし、PubMed(米国国立生物科学情報センターが作成している、医学分野の代表的な文献情報データベース。世界中の5,600 誌以上の文献情報を検索できる)のような専門的な医療情報が、英語でなくすべて日本語だったら、調査研究の詳細を一般の人も読めますよね。でも、そうした一次情報を直接利用できないとなると、一般の人は、メディアなど誰かの伝聞を信じるしかないんです。

 

 

久住 その割に、「文字を読む」ということに対するコスト意識はどんどん低下している、という矛盾もありますね。ネットには色々な記事が溢れているのに、わざわざ本を買う理由が分からない、と。一方で、インターネットが普及して、ツイッターなど日本人の書く文章量は飛躍的に増えたらしいですよ。

 

 

磯野 すごく腑に落ちます。発信をすることの価値、エンターテイメントとして情報を消費することの価値が高まる一方で、多角的に現象を見て・咀嚼することの価値は低下している気がします。インスタ映えする1000円のパフェと、一つの現象を多角的に解説した1000円の本であれば、前者の方が価値が高いという現実が世界の一部に確固として存在し、その存在感が増していることを学者は単に批判する出なく、きちんと受け止めないといけないと思います。

 

でも人生って、そうしたエンターテイメントだけでは立ち行かない場面が必ず出てきます。エンターテイメントの刺激に慣れていくのに反比例して、たぶん目の前で現実に人が死にそうになっている時に対処できる力は落ちてるんですよ。

 

 

久住 エンターテイメントと現実、アートと科学、混沌とした日々の中で、不確かさと付き合う術を身につけられずに来てしまったんですね。

 

 

磯野 いざという時に、科学や現実の持つ不確かさとどう折り合いをつけるか

 

 

久住 その時にこそ、個人がそれまで科学や知性というものとどれだけ真摯に向き合ってきたかが問われるんでしょうね。

 

【完】

 

photo by Takano Yukari

磯野真穂(いその・まほ) 

国際医療福祉大学大学院講師。文化人類学者。1999年、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業。2003年、オレゴン州立大学応用人類学修士課程修了(修士=応用人類学)。2010年、早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。早稲田大学文化構想学部助教を経て現職。2000年より拒食・過食についての研究をはじめ、シンガポールと日本でフィールドワークを行う。現在は主に現役の医療者に向け文化人類学を教える傍ら、医療現場でのフィールドワークを続けている。著書に『なぜふつうに食べられないのか―拒食と過食の文化人類学』(2015、春秋社)、『医療者が語る答えなき世界―いのちの守り人の人類学』(ちくま新書、2017)

 

久住英二(くすみ・えいじ)

ナビタスクリニック立川・川崎・新宿理事長。内科医、血液内科医、旅行医学、予防接種。新潟大学医学部卒業。虎の門病院血液科、東京大学医科学研究所探索医療ヒューマンネットワークシステム部門研究員を経て2008年、JR東日本立川駅にナビタスクリニック立川を開業。駅ナカという生活動線のど真ん中に立地し、夜9時まで内科・小児科・皮膚科の1次救急医療を提供している。好評を博し、川崎駅、新宿駅にも展開。医療の問題点を最前線で感じ、情報発信している。医療ガバナンス学会理事、医療法人社団鉄医会理事長内科医、血液専門医、Certificate in Travel Health、International Society of Travel Medicine。

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