文化人類学者として国際医療福祉大学大学院講師を務める磯野真穂さんと、ナビタスクリニック理事長の久住英二医師の対談、前編です。
【まとめ】
☆「相手の肩越しに、相手の世界を見てみる」文化人類学の視点で医療を見てみると、一般の人には見えてこない医療側の苦悩も見えてくる。
☆HPVワクチンについては、白か黒か、良いか悪いか、敵か味方か、という議論が先立ち、そのプロセスを多角的に問う議論が十分なされていない。
☆相手と自分の考え方が何から何まで一緒でないと安心できない、人間同士の関係性の構築やコミュニケーションが未熟な日本人。医療現場でも同じ。
文化人類学は、「世界は相手にどう見えているのかを、相手の世界の内側から理解しようとする学問」。磯野真穂さんは、その視点に立って医療現場を数多く取材してきました。一方、患者本位の医療を目指し、会社や学校帰りに気軽に立ち寄れる駅ナカクリニックを開設してきた久住英二医師。今回、そんな2人の対談が実現しました。
白か黒か、良いか悪いか、敵か味方か
久住 磯野さんのご専門は、医療人類学。これまでに、多くの患者と医療者、双方にインタビューを重ねてきたそうですね。医療の問題や課題が患者側の視点から語られることは増えてきましたが、磯野さんは、医療者の見た医療の現実や医療側の意見も発信されています。
磯野 はい。「相手の肩越しに、相手の世界を見てみる」というのが、文化人類学なんです。その考え方で医療を見てみると、一般人の私たちからは見えてこない、医療側の苦悩も見えてきます。やっぱり同じ人間ですから。
でも久住先生は、ご自身でも積極的に意見を発信されていますよね。HPV(ヒトパピローマウイルス、子宮頸がんの原因となる)ワクチンの問題など、活発な議論を牽引し、時に闘われてもいますよね(笑)
久住 HPVワクチンは、副作用が騒がれ、政府が弱気になって積極勧奨を止めてしまった結果、70%に達していた接種率が現在は1%未満となっています。指摘された重篤な副作用については、すでに科学的に因果関係は否定され、WHOも改めて「極めて安全」との見解を示しています。
子宮頸がんは20〜40歳代の女性で増えていて、国内でも年に1年万人以上が発症、およそ2900人が亡くなっています。救える手段があるのに、もどかしいばかりですね。諸外国では普通にHPVワクチンを打っているんですから。
磯野 私自身は医療者ではないので、HPVワクチンについては判断できませんが、このワクチンについては、白か黒か、良いか悪いか、敵か味方か、といったわかりやすい2項対立が先立ってしまい、なぜそうなったのか、というプロセスを多角的に問う議論が十分になされていないように感じます。
知性より「インスタ映え」
磯野 本をじっくり読み込むよりも、ツイッターの140字、あるいは動画や画像にコンパクトにまとめられた情報に“カフェイン”的な刺激を求める現代社会の状況も影響している気がします。あることに多面性な見方をしようとすると、端的にまとめることがなかなかできない。HPVワクチンについても、「百害あって一利なし」とか、「反対派はおかしい人達」というレッテルが簡単に貼られてしまうのではないでしょうか?。
久住 多面的な見方に「価値を置かない」というより、そもそも「分からない」のでは。知性とは、知識を正しく理解、統合、整理して、相手のレベルに合わせたコミュニケーションを図る能力だと思うんです。
磯野 いわゆる批判的思考(critical thinking、最適解を導くため、情報や前提条件を鵜呑みにせずに思考を重ね、課題解決する手法)に通じますね。
久住 ええ。そういうのって、それぞれの段階に達した人にしか分からないものだったりします。ウニを食べたことのない人に、ウニの味やおいしさを説明してもピンと来ないですし、私なんかは、どのブランドのキャビアが美味しいとか語られてもよく分からない。剣道や茶道などと一緒で、ある境地に達した人でないと見えない景色があるんです。知性もきっと、そういうものなんですよね。
磯野 もしかするといまは知性の形が変わってきているのかもしれません。多面的に複雑に現象をとらえるよりも、現象をバズる形で切り取り、瞬間的にアウトプットできる力が評価される現実がある気がします。
久住 今は第一に分かりやすさ。「インスタ映え」です。「秘すれば花」「行間を読む」みたいなことは、全然評価されないですからね。
コミュニケーションが未成熟なムラ社会
磯野 ただ難しいのは、じゃあ本音をふわっと包み込む婉曲表現がベストなのかというと、それもまた違うのかなと。例えばアメリカに留学した時に驚いたのは、場合によってはNoとはっきり口にする人が多いことでした。でもそれを言っても人間関係が途絶えるわけではなく、次に会った時にはふつうに仲良くしているしているんです。つまりそれで人間関係が途絶えることはないんですよね。
でも日本では、「角が立つから」「波風立たせたくないから」と、言いたいことを言わずに黙ってしまう人は多いですよね。言いたいことがあるなら、もっとはっきり言っていい、と私は思うんです。
久住 確かに、日本人は、何か1つ意見が合わないと、それだけで相手を拒絶しがちですね。
磯野 ええ、時に人格否定まで。でも、そんなはずはないんです。考え方が何から何まですべて一緒、なんてことはあり得ないんですから。だから本当は、言うべきことをみんなもっと言っていいし、それで大丈夫であるべきだと思っています。
医療でもそうです。患者さんも、気になっていることがあっても医師の顔色を窺って、遠慮して聞かない。医療側も、面倒を避けて言うべきことをはっきり言わないまま、ルーティンに忙殺されている現状があるようにみえます。
久住 相手と自分の考え方が、何から何まで一緒でないと安心できない。日本人の多くは、そういう意味では人間同士の関係性の構築やコミュニケーションの在り方が未熟なんでしょうね。医療現場にもそのまま持ち込まれているのかもしれません。
磯野 社会学者の菅野仁氏は、日本はカタチは近代社会をとっているけれども、実際はムラ社会的な部分がすごく多い、と言っていました。多様性や個性を大事に、なんて言いながら、実際にズレた部分が出てくると、どう対応していいか分からない。結果、相手の全人格を否定してしまうことになる。危険でしかないし、何も前に進みません。
医療者もグラデーション
久住 HPVワクチンでもまさに同じです。あの人の言っていることはおかしい、だからあの人は嫌い、みたいな。かつて自分をHPVワクチンの被害者だと思い込んでいた人で、今では当時の症状がワクチンによるものではなかったと納得していて、お子さんにもワクチンを受けさせている人がいます。彼女は、当時ワクチン反対派として自分を取材した人物を、今は全否定しています。でも、彼女を取材したその人物も、当時、膠着していたワクチン問題に一太刀入れたという意味で、功績はあるんです。
磯野 反対派でも推進派でも一枚岩ではないですよね。
久住 そうなんです。推進派でも温度差があります。小児科の先生では、「HPVも大事だけど、定期接種化を急ぐんだったらおたふく風邪の方が先だろう」なんて言っている人もいます。私なんかは、どのワクチンでも定期接種化されるものが増えれば順序なんて関係ない、と思ってしまいますけれど。
磯野 医療者の間でも意見が色々なんですね。グラデーションであって、白黒はっきり分けられるわけではないように見えます。
久住 それは当然で、どんなワクチンも、それによって多くの命が救われる一方、100%安全ということはあり得ない。じゃあどうするのか、という時に、やっぱり「知性」が問われるんですよね。
(つづく)

photo by Takano Yukari
磯野真穂(いその・まほ)
国際医療福祉大学大学院講師。文化人類学者。1999年、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業。2003年、オレゴン州立大学応用人類学修士課程修了(修士=応用人類学)。2010年、早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。早稲田大学文化構想学部助教を経て現職。2000年より拒食・過食についての研究をはじめ、シンガポールと日本でフィールドワークを行う。現在は主に現役の医療者に向け文化人類学を教える傍ら、医療現場でのフィールドワークを続けている。著書に『なぜふつうに食べられないのか―拒食と過食の文化人類学』(2015、春秋社)、『医療者が語る答えなき世界―いのちの守り人の人類学』(ちくま新書、2017)
久住英二(くすみ・えいじ)