-【インタビュー】「ただ、これが現実」。そう受け止めると、私自身も変わりました。-

2018.07.31

引き続き、子宮頸がんがんサバイバー阿南里恵さんのお話(中編)。手術を受けた阿南さんが直面した社会復帰の難しさ、そして得た気づきとは?

 

【まとめ】

☆手術成功、しかし、知らされていなかった体力低下。「期待を裏切りたくない」会社復帰を諦めることに・・・。

 

☆1年後、東京でフルタイム復帰するも、後遺症について身近な人の理解は得られず。「あなたたちにはどうせ分からないでしょ」

 

☆何か言う人が悪いわけではない、私が悪いわけでもない、誰も悪くはない。現実を受け止めて変わった私。マイノリティがん患者のために。

 

※前編はこちら

 

 

――無事に手術が成功し、仕事に復帰されたのでしょうか。

 

 

手術は結局、子宮はもちろん、腟の一部や基靭帯、さらにリンパ節まで取り除く広汎子宮全摘出術となりました。それでも私は復帰する気満々で、早く東京へ帰って仕事がしたいと思っていました。そちらが自分の居場所だと感じていたのです。そこで放射線治療は東京で受けることになりました。仕事仲間にも会うことができました。

 

しかし結局、その会社で仕事復帰はできなかったんです。手術前は営業職で、朝から晩までバリバリ外回りをこなしていました。手術後の自分には、それをこなす体力は到底なかった。

 

担当の医師は、手術や病気の治療のことは事前に詳しく教えてくれましたが、そこまで体力が低下してしまうとは、知らされていませんでした。会社側も事務職を用意してくれようとしたのですが、入社してすぐに好成績を上げた私に会社が期待していたことも分かっていました。それを思うと、「今の自分にみんながっかりするだろうな」「かわいそう、と思われたくない」と考えてしまって。結局、会社を辞め、実家に戻るしかなかったんです。

 

 

――でも、社会復帰を諦めたわけではなかった。しばらくしてまた、東京にいらしたんですね。

 

 

大阪で過ごす間に、再び私の中に東京への思いが募っていきました。1年後、絶対反対されるとびくびくしながら親に相談すると、意外にもあっさり東京行きを認めてもらえました。がんが見つかって「死」と向き合ったのは、私だけではなかったのです。親もまた「死」というものに直面して、子供の人生、生き方を考えたんだと思います。

 

母はわざわざ東京へついてきて、一緒に部屋探しも手伝ってくれました。

 

東京では、ベビーシッターの派遣事業の仕事に就きました。一生子供に触れないのは寂しく思い、私自身も大阪で講座を受けて、ベビーシッターの資格も持っていました。

 

ところが、大阪では何の問題もなかったのに、東京でフルタイムで働き始めると、後遺症に悩まされ始めたのです。リンパ浮腫※です。脚がパンパンに腫れて、40℃近い高熱が出るようになりました。

 

※リンパ浮腫:手術でリンパ節を取り除いたり放射線治療によってリンパの流れが停滞することで、腕や脚がむくむもの。発症時期には個人差があり、手術直後から発症することもあれば10年以上経過してから発症することもあり、重症化すると生活に支障をきたす。一度発症すると治りにくく、自己管理しながら生活設計する必要が生じる。(くわしくはこちら

 

 

――フルタイムで働くのは厳しい状況ですね。

 

 

はい。連日休むようになってしまって。実は就職時は体調が良かったので、がんのことは伏せていたんです。でも後遺症は収まる気配がなく、上司には話さざるを得なくなりました。すると、とてもご理解のある方で、「もう残業や休日出勤はしなくていいですよ」と言ってくださったのです。

 

ただ、上の理解が得られても、一緒に働く人たちは「なぜ急に阿南さんだけ?」と思いますよね。実際、何も知らせないまま自分だけ毎日「お先に失礼します」とは言いづらくて。そこで、職場の全員にメールでがんのことを打ち明けました

 

そこでも、ほとんどの方が応援してくださいました。でもある日たまたま、年の近い先輩が、「阿南さん、本当にそういう病気なんですか?」と人に言っているのを聞いてしまって。面と向かって言わなくても、本当はそんな風に思われていたんだ、と、ちょっと心が折れてしまったんですね。それで結局、そのお仕事も諦めるしかありませんでした。

 

 

――人間関係は難しいですね。がんになって傷つくことも多かったとか。

 

 

ええ。傷つくことの繰り返しでした。

 

でも、よく考えたら、無理もないんです。ベビーシッター派遣の仕事の時も、私は、普段は元気に見えるのに、忙しい時期にはみんなと同じようには「働かない」人。私からすれば「働けない」、でも人からすれば「働かない」ように見えてしまうから。

 

正直、「あなたたちには分からないでしょ」という気持ちもずっとありました。親でさえ、どうせ私の気持ちは分からない。それも無理もないのです。一人ひとり人生は全て違います。

 

何か言う人が悪いわけではない、私が悪いわけでもない、誰も悪くはない。ただ、これが現実。そう受け止めるしかないですし、そう受け止められるようになりました。

 

そうすると、私自身も変わりました。誰かが困っていて辛い思いをしている時、その人の気持ちは私には分からない。けれど、一緒にいたい。だから人は人と一緒にいるんだ、と考えるようになりました。

 

 

――それが今の活動にもつながっているんですね。

 

 

はい。その後私は、がん啓発団体である公益財団法人「日本対がん協会」の広報担当として働き始めました。その中で今も忘れられないのが、聴覚障害の方を対象とした手話付きセミナーを開催した時のことです。参加者の一人が、「なぜ僕たちにこういう情報を伝えようとしてくれたの?」と私に問いかけてきたのです。

日本ろう者劇団代表の米内山さん(左)、聴覚障害者、手話通訳士のみなさんと。

 

衝撃を受けました。健常者なら、情報を得られるのが当たり前、なければ怒りを覚えて訴えてくるところです。それが、聴覚障害者の彼らの場合は、なくて当たり前だと思っている。彼らにそう思わせてしまっているこの社会にとても腹が立ちました。

 

弱者やマイノリティの人たちに対する関心が高まりました。健常者の陰に隠れた障がい者や、小児と一緒にされてしまっているAYA世代※、彼らのがん対策のために自分が何かできたら、と思うようになりました。 (つづく)

 

※AYA世代・・・アヤ世代。15歳から29歳までの思春期~若年成人。

 

阿南里恵(あなみ・りえ)
「23歳の時に子宮頸がんが見つかり、抗がん剤、手術、放射線治療を受けました。いのちは助かったけれど、オシャレや遊び、恋愛、結婚、仕事とあらゆることに治療の影響を受けました。20代はずっとどうやって生きていけば良いのかわからず苦しみ続けましたが、今は『それらの経験は全て私にとって必要でした』と言えるようになりました。私の体験談を通して中学生の皆さんたちと一緒に、生きるとは何か? 幸せとは何か? を考える機会になれば嬉しいです。」
いのちの授業~がんを通して プロフィールより)

 

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