-【インタビュー】子宮頸がん、手術直前に逃げ出した私を救った一通のメール-

2018.07.27

子宮頸がんサバイバーで「いのちの授業」講師を務める阿南里恵さんに、お話を伺いました(前編)。

 

【まとめ】

☆23歳、自分の人生がようやく回り始めたと感じた頃、転職後1カ月で子宮頸がんが判明。すぐ東京に戻るつもりで大阪の実家へ。

 

☆突き付けられた「死」=「存在が忘れられるのでは」という不安と恐怖。無責任に励ます友人たち。受け入れられず、かたくなに。

 

☆手術前日に逃げ出し東京へ。「手術できないほど進行していたら?」「子供が産めない人生って?」・・・母からのメールに救われて。

 

 

※中編はこちら。後編はこちら

 

 

ナビタスクリニック理事長の久住英二医師は、2011年から、「いのちの授業~がんを通して」のメイン講師を務めています。「いのちの授業」は、心と体が大きく成長し変化を迎える中学生を対象に、「いのち」の大切さや自分の生き方を考えてもらうきっかけづくりとして、「ロハス・メディカル」誌が主催し、大塚製薬株式会社の協賛で行われています。

 

メイン講師は久住医師ともう一人、患者さん代表が務めています。今回は、現在講師として参加されている、子宮頸がん経験者の阿南里恵さんにお話を伺いました

 

 

 

――子宮頸がんが分かった時のことを教えてください。

 

 

23歳の誕生日の頃に、生理2日目よりも多いくらいの不正出血が毎日続きました。最初は忙しさでホルモンバランスが乱れているのだろう、と思っていましたが、さすがに1カ月続くと不安になり、受診して子宮頸がんが判明しました。その4カ月前に子宮頸がん検診を受けて異常なしだったのに、進行の早いがんだったのです。

 

私は当時、周囲の反対を押し切って転職したばかりでした。21歳で上京し、最初に就職した大企業では自分が必要とされていることを実感できず、新しい会社でようやく自分の人生が回り始めたと感じていました。9月に入社してトントン拍子に成果を出し、会社にも期待をかけていただき、非常にやりがいを感じていた中で、10月からの不正出血。11月には地元の大阪に戻ることになってしまいました。

 

 

――ショックですね。ご実家の近くで治療をされる、という判断だったのでしょうか。

 

 

正直、東京を離れたくはありませんでした。会社にもすぐ戻る気でいましたし、実家の母との関係も昔からあまりうまく行っていなかったんです。でも、担当の医師に、一人では無理です、治療も長引くかもしれない、と言われて初めて自分の状況を理解し始めました。会社の方も、私が戻って来るのを待つ、と言ってくださって、それで決断して大阪に帰ったんです。

 

治療は、正直怖かったです。痛いとか苦しいとかが怖いのではなくて、「もしお腹を開いても手の施しようがないほどにがんが広がっていたら手術を中断して進行を遅らせる治療をする」と主治医に付けられ、急に「死」というものを突き付けられたから。自分がなかったものになる、存在が忘れられてしまう、という不安が押し寄せて、全然受け入れられませんでした

 

申し訳ないけれど、「絶対大丈夫だよ」と励ましてくれる友人たちには、腹が立つこともありました。気楽で無責任に見えて仕方なかったのです。自分の気持ちが分かるはずない、とかたくなになってしまいました。ただ一人、お兄ちゃんと呼んでいた古い付き合いの知り合いが、「お前が死んでも絶対忘れない」と言ってくれた時は、背中を押してもらえた気がしました。

 

 

――それで手術を受けられたんですね。

 

 

実は、手術直前にも、怖くて東京まで逃げ出してしまったんです。

 

手術の前に2回1セットの抗がん剤治療を受けて、髪も抜けてしまい、ほとんど家から出ずに家族と過ごすことが多くなっていました。でも、母がかつらを買ってきてくれたりと、だんだんと仲が悪かった母との距離は縮まってきていました。

 

でも、いざ手術入院を明日に控えた朝、不安に押しつぶされそうになってしまって。「手術できないほどに進行していたら、どうなるんだろう?」「子供がもう産めなくなる。人生どうなるんだろう?」と。いたたまれず、新幹線に飛び乗って、まだ借りたままにしていた東京のアパートに逃げ込みました。親からの電話が幾度となく鳴り、出ないといけないと分かっていても、出られませんでした。

 

ようやく夕方になって母にメールしたら、当時は全くメールができなかった母が2時間後、誤字脱字たくさんのメールを返してくれました※。「とにかく生きなさい」と。私の中で、何かが吹っ切れました。親の愛情を心から感じることができ、同時にこれまでの母への接し方を後悔しました。いつ見捨てられてもおかしくなかったのに、親の愛情の大きさと、その力に触れて、ただただすごいと思いました。

 

私は決心して大阪に戻り、手術を受けたのです。(つづく)

 

 

※お母様とのメールのやり取りを、阿南さんが公開してくださいました。

 

 

阿南さん:

母さん、ごめん。東京に来ちゃった。りえ、手術する覚悟ができてないねん。手術がどうこうじゃなくて、子供を産めなくなることに対して。ちゃんと入院までには戻るから。それまで一人にしてほしい。

 

 

お母様:

りえ、信じられないけれど、東京なのですね。今日病院から電話ありました。26日10時に決まりました。(入院の日時)必ず帰ってきて下さい。人間生きてるだけでまるもうけ。きっと子供が産めない人でも、親の愛情が受けれない子供の為、何かしてあげる事ができるとお母さんは思います。

 

もっと大きな心を持ってほしいです。

 

子供が産めなければ、それはそれで、また生きていく道があると思います。

 

何時でもりえの事はお母さんの命がある限り応援したいと思います。きっときっと思い切り力いっぱい笑える時まで頑張ってくれませんか。お母さんとお父さんのためにも。元気な里恵がやっぱり一番かっこいいとお母さんは思います。

 

阿南里恵(あなみ・りえ)
「23歳の時に子宮頸がんが見つかり、抗がん剤、手術、放射線治療を受けました。いのちは助かったけれど、オシャレや遊び、恋愛、結婚、仕事とあらゆることに治療の影響を受けました。20代はずっとどうやって生きていけば良いのかわからず苦しみ続けましたが、今は『それらの経験は全て私にとって必要でした』と言えるようになりました。私の体験談を通して中学生の皆さんたちと一緒に、生きるとは何か? 幸せとは何か? を考える機会になれば嬉しいです。」
いのちの授業~がんを通して プロフィールより)

 

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