-【ドクター・ナビタス】 file 06-1:山本佳奈医師(内科・女性内科)――医師5年目の私の働き方と生き方。-

2019.11.16

医学部卒業後、医局に所属せず独自の道を歩み、医療の在り方について意見発信を続けてきた山本佳奈医師。その人物に迫ります(前編)。

 

 

【まとめ】

 

☆医学部志望の増えている灘高校での講演。未来をリアルに想像してもらいたいと、平坦ではなかった道のり、等身大の私を赤裸々に語りました。

 

☆マッチング失敗がきっかけで南相馬市での地域医療に従事。大学医局への所属は考えられず我が道を行くも、専門医制度の壁にぶつかりました。

 

☆地域医療の負の側面を目の当たりにした経験を経て、東大大学院博士課程での研究とナビタスクリニックでの診療を両立。

 

 

 

灘高生への講演。まっすぐではなかった道のり、等身大の私を、赤裸々に語りました。

 

 

――山本先生は先日、日本最難関ともいわれる関西の名門・灘高校で講演をされたそうですね。まずはその話からお聞かせください。

 

 

灘高校では、「医師5年目の私の働き方と生き方 ~関西を飛び出し、福島と東京で勤務して考えたこと」というテーマでお話をさせていただきました。

 

 

 

 

灘高校でも近年、ますます医学部志望の生徒さんが増えているそうです。ただ、昨年は東京医大の不正入試をきっかけに女子受験生の差別問題が発覚したり、すったもんだの後に導入された新専門医制度の問題点が明らかになったりして、医学・医師教育への信頼もずいぶん損なわれました。そうした状況に対し意見発信を行い、また、専門医制度に属さず自分なりの道を選んできた私に、灘高校の先生方も興味を持ってくださったのかもしれません。

 

 

 

 

実際、医師としてどんなキャリアパスを描くのか、というのは、今も私の中で大きなテーマです。もしかしたら一生向き合っていくことかもしれません。

 

 

というのも、単に医学部に入って国家試験に合格して、というところまでは、勉強がそれなりにできる人なら、頑張れば誰でもできます。まして灘高校の生徒さんなら、苦も無く医師になれる人ばかりでしょう。けれど本当に大事なのは、その先。何十年もかけて、どんな医師に、どうやってなっていくのか、ということですよね。

 

 

私自身、まだ医師になって5年目ですし、王道を歩まず、試行錯誤しながら自分なりの医師像を追求し続けている最中です。生徒さんたちに「こうすべき」「これが正解」といったことは言えません。その代わり私にできるのは、これまで自分の歩んできた、決してまっすぐではなかった道のりを、赤裸々に語ることだと考えました。彼らのちょっとだけ先を歩き始めている等身大の私を見てもらうことで、自分たちの未来をリアルに想像してもらえたら、と思ったのです。

 

 

 

 

転機はマッチング失敗。それでも大学病院は考えられず、選んだ福島での地域医療従事。

 

 

――そうなんですね。男子高校生の皆さんも、自分の将来の道を思い描くにあたって、おおいに刺激を受けられたでしょうね。山本先生は、いつ頃医師を志されたのでしょうか?

 

 

私自身は、サラリーマン家庭に生まれ育ち、なんとなく医師という職業に興味を持ったのは高校生の頃です。母校の四天王寺高校に医学部に進む先輩が多く、自分も自然と医学部に進学したいと思うようになりました。

 

 

(四天王寺中学校・高等学校/shigaku.net

 

 

しかし高校2年生の夏、見た目を気にして始めたダイエットがきっかけで、摂食障害に。冬から4か月間、閉鎖病棟に入院して治療しました。退院後は勉強についていけませんでしたが、医学部を諦められず、浪人生活を経て滋賀医科大学に進学することができました。

 

 

医学部では、思った以上に勉強が厳しく苦労しながらも、ごく普通の学生生活を送っていました。医学部という閉鎖的な環境に息苦しさは感じつつも、何か自分からアクションを起こすわけでもなく、起こせるとも思っていなかったんです。

 

 

転機になったのは、今は私も研究員として所属している医療ガバナンス研究所の上昌広理事長(上医師は毎週ナビタスクリニックで診療も行っています by編集部)と知り合い、夏休みなどに当時東大にあった研究室にインターンとして通わせていただいたことと、その後に東京での就活(マッチング)に失敗したことです。

 

 

ショックの中、これは自分の世界を広げるチャンスかもしれないと思いました。そこで福島県南相馬市の市立総合病院で初期研修を行うことを決断。大学在学中に一度だけ、東日本大震災後の南相馬市を訪れたことがあり、被災地で知り合いの先生方が活躍されている姿が目に焼き付いていたのです。年齢的なことを考えても、行くなら今だと思いました。

 

 

(南相馬市立総合病院/民間医局レジナビ

 

 

どこかの大学病院に入って、医局に所属して、という道は、考えていませんでした

 

 

ただ、2年目の秋頃、地域医療に従事したい若手医師や女性医師のライフプランへの考慮に欠ける専門医制度に対し、疑問を感じるようになりました。産婦人科を志していましたが、南相馬市立総合病院ではそれがかなわない制度になってしまったのです。新聞に投書するなどして物申し、専門医の取得はあきらめ、自分なりの道を進む決意をしました。

 

 

(山本医師提供)

 

 

地域医療の負の側面を目の当たりにした経験を経て、東大博士課程での研究と、診療の両立へ。

 

 

――ご自身で考えて、多くの人とは違う勇気ある決断をされたのですね。その後メインをナビタスクリニックに移されたそうですが、南相馬での診療とは違いますか?

 

 

それは大きく違いますね。南相馬での診療活動は地域医療の典型で、その負の側面も自ら見聞きし、経験しました。

 

 

南相馬では実は、対外的に目立った活動が歓迎されなかったのか、当時の南相馬市長にクビを言い渡されてしまったのです。それでも手を差し伸べてくださった先生のおかげで、産婦人科ではなく神経内科の所属として、勤務を続けることができました。

 

 

 

 

さらにその翌年、内科医として急遽、同市内の大町病院に派遣されることになり、地域医療の厳しい現実を目の当たりにしました。一言で言えば、東京の私立病院が、被災地医療と称して大町病院を喰い物にしていたんです。派遣されてくる医師に問題があることは、決して珍しくありませんでした。

 

 

それでも、それは現場の医師や病院が悪いのでは決してないのです。医師の配置に偏りが生じるような現行の制度に問題があるんです。しわ寄せやひずみが、地域医療に集まってしまっている現実を痛感しました。

 

 

一方、ナビタスクリニックでは、患者さんの層が全く違います。福島県の地域医療では、超高齢社会を反映して年齢層が高かったのですが、ナビタスクリニックでは働き盛りの比較的若い方が中心です。私の診察している立川院と新宿院、どちらも乗り換えの主要駅で、平日は21時まで診療していますし、土曜日はもちろん、新宿院は日曜日も開いていますので、皆さんコンビニ感覚で立ち寄っていただけます。

 

 

 

 

ですから診療内容も、大きく違います。ナビタスクリニックではHPVなど様々なワクチンの接種や、ピル・緊急避妊薬の処方なども多くなっています。

 

 

昨年からは、東京大学大学院博士課程の学生として、研究と診療を両立させています。現場で何が起きているのかデータを収集させていただき、ナビタスクリニックの特殊性から人々の医療ニーズを知り、診療に還元して役立てさせていただきたいと考えています。

 

 

(山本医師提供)

 

 

・・・後編へつづく

 

 

山本佳奈(やまもと・かな)

1989年生まれ、滋賀県出身。2015年、滋賀医科大学医学部医学科卒業。ときわ会常磐病院(福島県いわき市)・ナビタスクリニック(立川・新宿)内科医、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員、東京大学大学院医学系研究科博士課程在学中、ロート製薬健康推進アドバイザー。著書に『貧血大国・日本』(光文社新書)

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