引き続き、著書『知ってはいけない薬のカラクリ』が話題の谷本哲也医師に、出版に至るまでの経緯を伺っていきます。
【まとめ】
☆ディオバン事件の衝撃で綻び始めた医療界の“EBM信仰”。ただ、日本社会に大きな損失を与えた割に世間一般の反応は医療界ほどではなく・・・。
☆製薬企業とのしがらみなく、ジャーナリズムを追求するワセダクロニクルとの出会い。問題意識を共有し、「製薬マネーと医師」プロジェクトへ。
☆資本主義社会での製薬企業と医療界の在り方は、難しい問題。だからこそ情報公開と議論を、とう思いを著書に託して。
※前編「エビデンスは万能じゃないと気づいたあの日。自らの診療の地道な積み重ねこそ、医師の基本」はこちら。
エビデンスには様々なバイアスがかかっている。ほころび始めたEBM信仰。しかし世間は・・・
――ディオバン事件をきっかけに、EBM自体を否定するわけではないけれども、盲目的なエビデンス信仰から目が覚めた、という感じでしょうか。
ええ。たとえ不正はおかしていないとしても、「エビデンス」には実は色々なバイアスがかかっています。資本主義社会ですからね。製薬会社は売り上げを伸ばすことを目的に、ある意味冷徹に、合理的な行動原理に従います。例えば、失敗した試験など企業にとって不利な結果は、なかなか論文として外に出しません。そもそも研究資金を出す段階で、企業に有利な臨床試験結果が出そうな計画だけがセレクションされています。
皆、本当はうすうす知っていたことです。でも、そこは目をつぶって流れに乗っていた部分はあると思います。
それが、世界的影響力を持つイギリスの臨床医学専門誌『ランセット』などによって、日本発の不正が明るみになったことで、日本でのEBM信仰にようやく綻びが生じた、というところでしょう。
(論座)
――医療界の認識を大きく変えた事件だったんですね。であれば、もっともっと世間に注目されてよかった気もします。
そうですね。不正のおかげで、日本で最も売れた薬の1つとなり、合計で1兆円以上の売り上げがあったわけですからね。ざっと見積もっても何千億円かは必要以上に処方され、税金から無駄に支払われている。日本社会に大きな損害を与えた薬なんです。臨床研究法という新しい法律も制定され、医療界は大きな影響を受けました。
とはいえ世間一般では、医療界ほどには騒がれなかったかもしれません。直接的に被害を実感できるわけではないので、自分とは無関係の話のように感じられるのでしょう。その認識のギャップも、私としては気がかりでした。
ワセクロと出会い、“聖域”だった医療と製薬マネーへの問題意識を共有。
――そんな時に出会ったのが、ワセダクロニクル編集長の渡辺周さんたちだそうですね。
はい。ワセダクロニクルは非営利の調査報道メディアで、広告収入に頼らない真のジャーナリズムを追求しています。大手メディアは製薬会社から巨額のスポンサー収入を受け取っていると言われ、そうするとどうしても製薬会社に不利な報道はできなくなります。その問題を象徴的に示したのが、ワセダクロニクルのシリーズ第1弾「買われた記事」特集でした。
人の命にかかわる医薬品の新聞記事掲載に金銭授受があり、取材記事といいながら実質的に宣伝広告だった、というものです。電通グループと製薬大手の MSD、そして共同通信グループと地方紙の間でのお金の動きを暴き、大きな話題となっていました。
(ワセダクロニクル)
さらに彼らは、製薬企業から医師へのお金の流れにも注目していました。政治献金はかなり規制されるようになりましたが、医療は“聖域”として、ほとんど手つかずだったからです。
私の世代は、製薬企業からの利益供与は当たり前の時代を過ごしてきました。がんセンター時代は築地の料亭で接待を受けたり、ホテル代から旅費から全て製薬会社持ちで講演会に参加したり、というのが日常の光景でした。
医療界・医学界で利益相反が厳しく言われるようになったのは、2010年代に入ってからです。だんだんと露骨な接待などは減っていますが、それでも形を変えて存続しています。高級弁当を無料で配る薬の説明会や、製薬企業がスポンサーとなった高級ホテルでの勉強会など、上手い名目を掲げた営業活動が盛んに行われています。
資本主義社会なので、営利企業が営業活動を行うのは当然です。しかし、その活動の原資は国民の医療費です。その事実を踏まえた節度が必要だと、私は考えるようになっていました。そのなかでワセクロと出会い、問題意識を共有できると感じたのです。
走り出した「製薬マネーと医師」プロジェクト。国内外の反響、業界内の反応は?
――そして実際、製薬企業から医師へのお金の流れを「見える化」されたんですよね。
はい。私も所属する医療ガバナンス研究所とワセダクロニクルとで、共同で取り組んでいる「製薬マネーと医師」プロジェクトです。医療ガバナンス研究所からは、同じ常磐病院で働く乳腺外科医の尾崎章彦先生や、仙台厚生病院の齋藤宏章先生など、若い世代の医師が多く参画しています。大学教授など“権威”からは煙たがられる仕事になりますから、時代の流れを感じますね。
(ワセダクロニクル)
彼らが協力して完成させた「マネーデータベース『製薬会社と医師』」では、2016年の製薬企業から医師個人へ、講演料などの名目でどれだけの金銭が支払われたかが全てデータベース化されています。医師個人名や製薬会社名で検索し、具体的な結果を誰でも無料で調べることができます。
結果の一部をご紹介しますと、全国約32万人の医師のうち、2016年度に製薬会社からの謝金を受け取っていたのは、約3分の1の9万8千人。そのうち約95%は受領額100万円未満ですが、100万円以上受け取っていた医師が約5%の約4900人いました。さらに、そのうち111人は年間1000万円以上受け取っていたのです。大学教授や政府の審議会委員など、薬の選定や臨床研究に大きな権限を持つ少数の有力医師に集中し、特に糖尿病や高血圧関連に多いことも分かりました。
(東京新聞)
――このところ新聞紙面をにぎわせていますね。かなり思い切ったプロジェクトですが、業界内からの反発などはなかったのでしょうか?
おかげさまでようやく最近、西日本新聞や東京新聞、毎日新聞など、マスメディアからの注目も高まってきました。『週間東洋経済』の特集やビデオニュース・ドットコムなどでも取り上げられました。
このようなデータベースは、アメリカをはじめ諸外国でも作成されていますが、多くは公的要素が強いものです。「マネーデータベース『製薬会社と医師』」は、私たち民間団体が官に頼らず作成した日本初のもので、国際的な学術誌でも高く評価されています。2017年度分の作成も進んでいます。
製薬マネーの問題に関しては、「製薬会社も儲かり、医師も得をするのだから何が問題なのか分からない」といった業界内の意見もたしかにあります。私たちの活動を苦々しく、批判的な目で見ている同業者も多いでしょう。しかし、医療界という閉鎖系内部の論理だけでなく、一般社会からの視点を入れると見え方が違ってくると思います。
解決の難しい問題ではありますが、情報公開によって多様な立場からの議論が進めば、という思いを託したのが、拙著『知ってはいけない薬のカラクリ』 (小学館新書) です。
製薬マネーの実態や、どうしてそれだけのお金が、どうやって医師に流れていくのか、業界のタブーを出し惜しみせずに、患者さんやそのご家族といった一般の方向けに分かりやすく書かせていただきました。普段、大学病院などでよく分からないままいつも同じ薬を処方されている方、飲み切れないくらい多種多様な薬をもらっている方、もちろん製薬のお金の流れに興味のある方も、ぜひご一読いただければ幸いです。
【完】
谷本哲也(たにもと・てつや)
1972年、石川県生まれ、鳥取県育ち。鳥取県立米子東高等学校卒。内科医。1997年、九州大学医学部卒。国立がんセンター、PMDA等を経て、現在はナビタスクリニック川崎、ときわ会常磐病院、社会福祉法人尚徳福祉会にて診療。霞クリニック・株式会社エムネスを通じて遠隔診療にも携わる。特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所に所属し、海外の医学専門誌への論文発表にも取り組んでいる。著書に、「知ってはいけない薬のカラクリ」(小学館)、「生涯論文!忙しい臨床医でもできる英語論文アクセプトまでの道のり」(金芳堂)がある。