医師陣をご紹介する好評企画の第5弾。今回は著書が話題の谷本哲也医師(内科)に、診療と執筆について伺いました。
【まとめ】
☆卒業後、血液内科医として白血病治療の最前線に。ドラッグ・ラグなどを目の当たりにし、その後、自らPMDAの”お役人”に。
☆現在は様々な医療現場で患者さんと向き合う日々。現場回帰を決意させた出来事とは?
☆大反響の著書『知ってはいけない薬のカラクリ』。執筆への大きな転機は、医療界に衝撃を与えた、アノ事件だった!
※後編「ワセダクロニクルとの出会いから、『製薬マネーと医師』プロジェクトへ。」はこちら。
最先端の白血病医療、治験に携わり、ドラッグ・ラグに関心。自ら「霞が関のお役人」に。
――谷本先生は、ご著書『知ってはいけない薬のカラクリ』が大きな反響を呼んでいますね。そのお話も伺いたいのですが、まずこれまでの医師としてのご経験をお聞かせください。
私は大学卒業後、血液内科医として研鑽を積みました。もともと外科よりも内科の方が自分には向いていると感じていました。外科医のように切って縫って、と手を動かし続けるよりも、本を読んだり考えたりしながら診療をブラッシュアップしていく方が性に合っていたんです。
(Shutterstock/angellodeco)
ナビタスクリニック理事長の久住先生との出会いは、もう20年近くも前、国立がんセンター中央病院(現国立がん研究センター中央病院)にいた頃です。当時久住先生は虎の門病院にいましたが、お互い血液内科医として交流があり、一緒に切磋琢磨してきました。そのご縁で、ナビタスクリニックにも長く勤めています。
血液内科で扱う白血病などの病気では骨髄移植も行われますが、やはり薬物療法が中心です。がんセンターなどにいた頃には、最先端のがん治療現場として、日本で初めて使われる薬の治験の仕事にも関わりました。欧米で使える薬が日本に入ってこないドラッグ・ラグと呼ばれる状態も当時問題となっており、自然と社会と薬の関係性への興味は高まっていきました。
その後、治験に関わった経歴を活かし、独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)という役所で医系の「臨床担当審査員」として働くこととなりました。我ながらまさかの「霞が関のお役人」です。(笑)
(Shutterstock/Milena Ugrinova)
PMDAでは、日本でまだ扱われていない新薬の審査などを行います。製薬企業が希望者を対象に治験を行い、薬の安全性と有効性に関するデータを集め、国内で一般に使えるよう役所に承認申請します。PMDAでは、そうしたデータを客観的に評価し、公的判断を行政文書としてまとめます。私はその臨床医学的な側面の評価・判断を担当していました。
現場回帰のきっかけとは? 様々な患者さんと向き合う日々の診療こそ、医師の本分。
――そうだったのですね。そこからまた診療現場に戻ってこられたのは、何かきっかけがあったのでしょうか?
一番大きかったのは、2011年の東日本大震災です。あの極限状態を目の当たりにした時、PMDAでの行政仕事はもちろん大切ですが、患者さんから少し遠いところへきてしまったと実感したんです。医師として患者さんの傍らに戻り、再び臨床の仕事を中心にしようと決心を固めました。
今は、週の前半はナビタスクリニック川崎で、後半は福島県いわき市へ赴いて、ときわ会常磐病院で診療を行っています。さらに並行して、社会福祉法人の尚徳福祉会での診療や、遠隔診療に取り組む霞クリニックおよび株式会社エムネスでの遠隔診療、NPO法人医療ガバナンス研究所の支援をいただいての医学論文執筆活動、ネパールや中国等との医学交流など、医師として活動の幅を広げてきました。
ナビタスクリニックは、エキナカ立地で平日夜9時まで診療していますから、働き盛りの若い年代の方々が多く受診されます。小児科もあり、保育園にお迎えに行ってそのままお子さんを連れて立ち寄るご両親も多いです。ですから内科の診療内容は、風邪や流行性の感染症、高血圧や痛風などの慢性疾患が中心です。季節ごとに違いがありますね。また、海外勤務者や留学生向けのトラベルワクチン接種も積極的に取り組んでいます。
そうしたエキナカクリニックならではの特徴を、データに基づいて医学論文としてまとめ、国際的に発表しました。
一方、常磐病院の受診者は、高齢者が圧倒的に多いです。地域の中核病院として、寝たきりのお年寄りが救急で運ばれてきたり、お看取りがあったりと、ナビタスとは状況がだいぶ違います。
国立がんセンターにいた頃と今は、まったく状況の違う診療現場に身を置いています。当時より、もっと身近で生活に密接した現場で、日々多くの患者さんを診ています。医師として貴重な経験を、着実に重ねることができていると思っています。
『知ってはいけない薬のカラクリ』執筆へ。転機となった、あの事件。
――現場を大事にされているんですね。そうした日々の中で、何が谷本先生をご執筆へと向かわせたのでしょうか?
遡ってみれば、PMDAに在籍したことは、執筆の布石になっているかもしれませんね。薬の社会的側面についての知見を深めると同時に、医療界を外側から、客観的に眺める機会ともなりました。少し距離を置いて見たことで、それまでは普通だと思っていた医師と製薬の関係性や慣行が、一般社会の感覚からすれば非常に特殊であると気づいたのです。最初からそこまで意図していたわけではないんですが。(笑)
それが1つめの転機だったように思います。
さらに直近のきっかけは、いわゆる「ディオバン事件」です。2010年前後に、「高血圧治療薬のディオバン(一般名バルサルタン)は、脳梗塞や心筋梗塞など心血管系疾患の抑制にも効果がある」とした臨床試験の論文が、国内の5つの大学から相次いで出されました。その結果、比較的高価な薬だったディオバンが圧倒的な市場シェアを獲得し、売り上げは最盛期で年間1,400億円に上りました。しかし、それらの研究は、ノバルティスファーマの元社員が身分を偽って捏造したデータに基づくものだったのです。
(毎日新聞)
また、同社から多額の「奨学寄付金」等が、関係する大学を中心に提供されていたことも分かりました。売り上げを伸ばすために製薬企業から医者へ巨額の資金提供が行われ、それが研究不正の温床になっていたのです。5大学の論文は最終的に全て撤回されました。
――ディオバン事件、ありましたね。確かに衝撃的でしたが、医療界ではどのように受け止められたのでしょうか。
一般的に見れば、一企業と大学の不正事件としての印象が強いのかもしれませんね。少なくとも医療界には、それ以上の衝撃が走りました。医療の在り方の常識を揺さぶるほどのインパクトがあったと思います。
当時は、今以上に一流の英語の医学専門誌に掲載される「エビデンス」が絶対的な説得力を持っていると信じられていました。エビデンスに基づく医療、いわゆる「EBM」は、1990年代から盛んに言われ始め、医学界に新風を吹き込みました。それまでの権威主義的な医療の在り方に閉塞感を感じていた医学者たちが、皆いっせいに拠り所としたのです。
実際、私もその世代です。現場に立つ頃には、EBMの考え方が広く普及し、強い影響力を持つようになっていました。診療に使う薬を、論文で示された臨床試験のエビデンスに基づいて選ぶ、というようなことが普通に行われるようになっていました。
しかし、それを逆手に取り、盲点を突いたのがディオバン事件でした。薬が実際以上に効果があるというエビデンスを捏造し、それを販売戦略に利用するという、世界的にも類を見ない“完全犯罪”だと思います。
EBMは決して万能ではないという事実が白日のもとに晒され、私を含め、医療界全体が一種のカルチャーショックに見舞われました。
【後編へ続く】
谷本哲也(たにもと・てつや)
1972年、石川県生まれ、鳥取県育ち。鳥取県立米子東高等学校卒。内科医。1997年、九州大学医学部卒。国立がんセンター、PMDA等を経て、現在はナビタスクリニック川崎、ときわ会常磐病院、社会福祉法人尚徳福祉会にて診療。霞クリニック・株式会社エムネスを通じて遠隔診療にも携わる。特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所に所属し、海外の医学専門誌への論文発表にも取り組んでいる。著書に、「知ってはいけない薬のカラクリ」(小学館)、「生涯論文!忙しい臨床医でもできる英語論文アクセプトまでの道のり」(金芳堂)がある。